EGAKU Participant Interview

Kanako Fujino
Legal department Chemical company

自分が持っているものしか出てこない。

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不思議ですよね。やっぱり自分が持っているものしか出てこないっていうこと。EGAKUでは生きてくる中でどういうものを拾ってきたかっていうことが全部出るんですよね。「私ってこういうことばかりを拾ってきたんだな」とか。
できた作品に「すごいじゃん!」と満足する時もあるし、反対にただ拾ったものを積み重ねていただけみたいに感じる作品もあるんですけど。
毎月テーマを与えられると、そこに刺激されていろいろなものが自分から出てくるんです。EGAKUプログラムの場のセッティングが私にはとても合っていたんだと思いますが、多分他の人にも効果的なんじゃないかと思います。本当に全部のテーマでいろいろ考えさせられることが多かったです。

「怒り」は相手の価値観を見つける羅針盤。

怒りが怖くなくなったのは「怒 -Anger-」というテーマで描いたときからですね。もともと私は怒りという感情に対して「幼稚だ」とか、「怒りっていう感情を持たないでクールにいたい」という考えがあったんですけど、でもやっぱり生きている中で怒りを感じることって多いんですよね。それは親しい関係にある人に対してや、嫌なニュースを見た時もそうですけど。
この「護」という作品は、怒りを顕微鏡で拡大したイメージで描いたんですが、「怒りの隣には怖いっていう感情があって、怖いって感じるのは大切な何かが脅かされているからなんだ、だから怒りはなにかを守るためにある」というのが、私の「怒り」のとらえ方なんだということを見つけた日でしたね。それまでは自分が、なんで怒っているのかすらわからず、わき上がってくる怒りという感情にただ振り回されていた幼稚な自分の姿を自覚したんです。
それ以来、怒っている人を見たときに、この人はどんな大切なものを護ろうとしているんだろう?という視点で向き合うことができるようになりました。「怒り」は相手の価値観を見つける羅針盤になるんだなと思うようになりました。

「怒る」ことがネガティブじゃなくなりました。

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自分もそうですけど、人が怒っているときのエネルギーって強いので怒っているということばっかりにフォーカスしちゃいがちですけど、そこで終わっちゃうと、そこで本当に大切にしている価値観みたいなものが置き去りになっちゃうんだなって思うようになりました。そう考えると逆に、怒りって私に一番大切なものを教えてくれるものなんだって気づいたんです。
それ以前は、怒りをコントロールできるのが大人だと思っていたんですけど、ぜんぜん違ったなという感じがしています。健全な怒りを持っている人というのが良いと思うようになりましたし、人のことをより理解できるようになったと思います。そうやって理解できるようになると、不思議に相手に不快な思いをさせずに何かができるようになりましたね。つまり怒るということがネガティブなことじゃなくなりました。

信頼関係を創る方法を学んだのかも。

自分が怒りを感じたときにも、自分が何を大切にしているか、どうして欲しいかを説明できるようになったので、怒らないようになりました。すごく楽になりましたね。自己表現がコントロールできるようになったのだと思います。そして人との信頼関係がつくれるようになりました。自分の大切にしているものを大切に思ってくれるだろうと信頼してオープンにしてみて、そしてそれを大切にしてくれると、そこで信頼感って生まれるじゃないですか。反対にないがしろにされちゃったら、この人は信頼すべき人じゃないなというのがわかるということですよね。あれ、じゃあ、もしかすると信頼を創る方法を学んだのかもしれないな。
あと、トツキトオカ全体を通して感じるんですけど、自分の事なんて、所詮自分が一番わかってないんですよね。だから怒っているときこそ自分の価値観を知るチャンスだと思うようになりましたね。自分自身を理解する力が前よりも育ったかも。

自分の原点をもう一度見つけられました。

もっとも印象に残っているのは、10回目の作品「水平線-Horizon」です。テーマは「源 –Origin-」でした。この作品が出てきたのは自分でもびっくりしました。そして自分が大切にしているのってそういうことなんだな、と改めて思い出した作品ですね。自分の原点をもう一度見つけられて新しいパワーをもらったっていう感じでしょうか。
自分が今まで無意識にベースにしてきたものを、これをきっかけに、より自覚して、肯定的にできるようになったので、そうするとやっぱり周りにも伝わるんですよね。
これは自分でもすごく大きな発見でした。この作品がきっかけで周りに対してはっきりと自分を発信できるようになりましたし、あまりズレのない自己表現ができるようになった気がします。
これって人生の必需品で、みんな一人一人がこういうものを見つけていくと良いと思います。一人一人絶対に違うので。「あー、この時にすごいワクワクしたんだ」っていう原点ですよね。

自分の中の大きな広がりに驚いたり、楽しんだり。

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意図せずして、そのワクワクを10回の中で見つけられました。でもこれは描き続けてなかったら出てこなかったと思います。「出てきた」って言うのがやっぱりぴったりな表現なんです。「これ描こう」とか思っていないのに出てきちゃうので。参加した方は解ってくれると思うんですけど、EGAKUプログラムが私の中から作品を引き出してきちゃうんですよね。
自分の中から出して受け止める、そしてそこからもう一回出すという自分との対話の繰り返し。それと、自分以外の人に伝えるっていう他者との対話。さらに作品との対話。これを繰り返しやってきたから、トツキトオカ臨月の10回目にして「水平線-Horizon」が描けたのだと思います。自分の創造性を取り戻すというプログラムの目的を実感しました。
でもこの最後の回に限らずトツキトオカでは毎回新しい自分に出会って、毎回「Hello!」って感じでしたけどね。
自分の(心の)中の洞窟に入ったら、こんなに大きく広がっていたというのは本当に驚きでした。そして楽しかった。毎回違う自分に合うのも、毎回参加者の思いがけない表現に出逢えるのも。結局やっぱり「みんな違うんじゃん!」というのがすごく楽しくて。この豊かさに気づけたことは、本当によかったと思います。

違う価値観を受け入れる力が伸びて、自然に結婚も。

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プログラムを通して、自分が何かを創れる、クリエイティブになれる、っていうことに自信がついたんだと思います。
毎回「何を描けばいいんだ?」と途方に暮れても、自分との対話を続けていると、ちゃんと作品として仕上がっていく。そのプロセスから創る手法を確認できたことですかね。
実はトツキトオカの途中で結婚しました。自然に結婚に飛び込めたという感じです。
自分の思う通りにならないから結婚は難しい、みたいな憂鬱なイメージがあったのですが、気がつけば「私の価値観はこうだけど、相手はこうだから、じゃあ一緒に心地よい関係をつくるためにどうやっていこうか」、そう考えられるようになっていた。
そして、トツキトオカを通して自分との対話をし続けたことで、人とも対話ができるようになったんじゃないですかね。以前は独りよがりだったのかもしれません。
EGAKUプログラムに継続して参加することで、自分とは違う価値観を受け入れる力が今まで以上にどんどん伸びていったのかな。そして「正しい結婚」なんていう正解はなくて、好きなように自由に創っていけばいいんだと気づけたら、とても自由な気持ちになっていきました。自分とは違う価値観を持つ相手のことを、「面白いな」と鑑賞できるようになったのかも(笑)

自分がわからないと相手と深い対話ができない。

今までにもクリエイティブだと思うこともいろいろやってきました。フラワーアレンジメントとか生け花とか。そういった他のクリエィティブワークと、EGAKUは確かに違うんですよね。やっぱり対話じゃないですかね。生け花とかで私が学んだことって、その個体が持っているものがどれだけ美しく見えるか、この個体だからこそ、この組み合わせだからこそ表現できる美しさって何だろうという事に対して心を配ることなんですよね。そうすると自然に人の個性にフォーカスできるようになったというのはあったんですけど、うっかり自分のことは自分ではわからないんですね(笑)
自分がわからないと結局は相手と深い対話ができない。対話ってリーダーシップには欠かせないと思うんです。リーダーってフォロワーがいないとリーダーにはならなくて、つまりひとりで作品を創っていてもそれはリーダーではないですよね。チームを創ってみると分かるんですけど、やっぱり一緒のチームの人を理解できないとレバレッジがきかないというか、成し遂げられないんですよね。そこで「対話力」が必要で、そのためには自分を知らないといけない。それがないとそれこそ独りよがりな世界で、創れるものには限りがあるという感じがしています。

描くのは生きてきたことのキュレーション。

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描いた後には、自分の言葉で自分の思いで語れるようになるって不思議ですよね。やっぱり生きてきた中で感じてきたことをどう拾い集めて、言葉としてキュレーションするかっていう事なんじゃないでしょうかね。これまで生きてきたなかで拾ってきたものとキュレーションの仕方の組み合わせによって、どういうものを提示できるかって千差万別のはずなんですもんね。それを自分で経験を通して理解できると、自分の持論の特殊さっていうものが特殊じゃなくなる。みんなユニークっていうのがデフォルトなので。これはパラドックスでもあるんですけど。
描くっていうのは、生きてきたことのキュレーション。自分が集めてきて美しいと思ったこと、こうなったらいいと思ったこと、それをビジョンとして語る「語り部」となるためのひとつの手法なんじゃないでしょうか。

リーダーは流れに乗るのではなく、創る人。

私の見ている中で、リーダーに必須の条件なんだなと感じるものっていくつかあるんですけど、一つは「生命力」、生きる力が強いっていう事ですね。そういう人って同じ時間でリカバリーできる量が多いんですよ。そして、自分が何をしたらエネルギーをもらえるかっていうのを、ちゃんと会得しているんですよね。逆に言うと無駄なことに生命エネルギーを使わない。そういう人が運も招くし、時代の流れを創っているんだと思います。流れを読めない、流れに乗れないって悩んでいる人もいますけど、リーダーは流れに乗るのではなく、流れを創る人だと思います。
やっぱりポイントは自分のクリエイティビティに気づいているかどうかだと思うんです。流れを読めずに悩むというのは、時代の流れを誰かがつくっていてそれに乗るっていう感覚ですよね。でも、こうあるべきっていうものはないし、なんでも自由に創っていいんです。そうすると苦しくないし怖くない。流れが嫌なら変えればいいだけなので、すごくシンプルなんです。活躍している経営者って、創ることに没頭しているんじゃないかなあ。

失敗が怖くなくなり信頼を得る存在になりました。

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やっぱり知識ではなく、経験に裏付けされたものほど強いものってないですね。
例えば、トツキトオカを終えた今は、怒っている人に対して、ではどういうのが良いんだろうということを、怒りを持っている人その人から引き出せるようにもなりました。そして正しいも正しくないもないから、悩まなくなりましたね。一つのやり方がだめなら違うやり方をやればいいし。なので失敗が怖くなくなりました。失敗なんかないんですよね。だから、いわゆる失敗がチームの中で起こっても「ま、そういうこともあるよね」と笑って「じゃあ、こうしようか」で済ませられるようになったというか。現状に不満を言うよりも不満を解消していくことを楽しめるチームになっていったように思います。
それから、信頼もしてもらえるようになりました。普段年上の方々と仕事をしてるんですが、トツキトウカをしているうちにブレないっていうかいつも悠然としてるというところが出てきたらしくて、それがすごい頼りになるということを言って頂いたこともありました。そういう安心感というか自分の土台っていうのは、外にも出てくるもんなんですかね。どちらかというと、私の方がチームを信頼できるようになったんですけどね。チームには解決策を創り出す力があるはずって。

経営書だけでは得られない、マネージャーへの心構え。

みんなが自分のクリエイティビティに気づけばいいと思うんです。デフォルトはユニークなので自分のユニークさをもっと楽しめばいい。これって、ただなんとなく気づいてはいたものの、それを体験するとやっぱりその確からしさが変わってきますね。それはすごく良かったなと思います。
こうした経験や発見したことをどう育てていくかでいうと、あんまり大仰なことではなくて、周りの人との人間関係が穏やかで温かいものになるっていうことかもしれないですね。自分のことも相手に伝わるように表現できるし、相手が表現しきれないところに寄り添えるようになる、そういった状態が楽しめる感じですかね。
あとはもう少し大きな組織でもマネージャーになるための心構えですかね。それも経営書に書いてあるような文字面じゃなく、生きる一部の表現活動のひとつとして、正しい正しくないじゃなくて、できる気がします。