EGAKU受講者
インタビュー

藤井 薫 さん
インテリアデザイナー

参加者の作品に毎回ノックアウト

初めて描いた2008年の時のことを思い出すと、一緒に描いた中に、正直私として苦手な絵を描いた方がいて、その人に「この人の絵が好きです」って言われたことが衝撃的でした。

トツキトオカを始めて今まで、いろんな人の絵にかなり刺激を受けたと思います。あんな風に描いてみたいとか、あんな色使いしてみたいとか。
EGAKUに参加している人には、いわゆるクリエイティブな仕事をしている人や、自分と近い仕事をしている人って少なくて、理系だったり人材ビジネス関係だったり。でもそういう人たちの構図とかフォルムとか、色使いのバラエティの豊かさに毎回ノックアウトされるんですよね。「そういうのありだね!」や、「私は思いつかなかったけど、いいね。」みたいな豊かさ。それがEGAKUを続けていて一番面白いことだったかな。

デザインの仕事をしてると、いい意味で自分のスタイルみたいなものが確立されてきている部分もあるんですよね。仕事上ではデザインに対するものの考え方が、「うーん、わかるわかる。そうだよね。」みたいな会話が普段多い中で、EGAKUに来ると予想外のものに出会って衝撃を受けるんですよね。
でも、それが嫌でもないし、面白い。そういう感情を受け入れられるようになったのが、私にとっての一番の変化かもしれない。
いろんな人を受け入れられるようになりましたね。

人の価値観って本当に千差万別で、そう頭でわかっていても目に見えないから理解しづらいところがあって、でもそれが目に見えるのがEGAKUだと思います。
デザイン業界だと個性の強い人がいっぱいいて、お互いの個性を認め合ってうまくやっていくみたいな部分があるけれど、EGAKUはそれとはまたちょっと違う感覚なんですよね。

EGAKUでは、テーマは一緒だけど、それぞれの参加者が全然違うアプローチで描く。思いもよらないところからのそういうアプローチが勉強になるんです。
しかも誰もがとても真剣ですごくピュアで、そういう姿勢への共感も大きいかもしれないですね。何の損得もない。目立とうとしてるのでもなく、認められようとして奇をてらっているわけでもないのに、思いもかけないアプローチを毎回感じられるっていうのは、すごく刺激的です。

私の想いをくみ取ってくれる、じわじわとした幸福感

それから、「あ、自分はこのままでいいんだ」と感じたことも大きなことでした。私のバックグラウンドを知らない人が自分の絵を見てくれる。普段全く会わないような人たちが自分の絵を見て、私の想いをくみ取ってくれている、じわじわとした幸福感。
毎回みんなが書いてくれるコメントの半分くらいに「そうなの!!そうなの!!この絵から読み取ってくれてありがとう!」という気持ちが芽生えます。

言葉足らずとか説明不足でも、自分はこのままでいいんだって強く思えたのが大きかったな。理解されようとして変に自分を変えなくてもいいんだな、意外と相手には伝わってるんだなって。

仕事柄、常に自分の考えを理解されるようにプレゼンテーションしなければいけないから、説明しなくても伝わるというところに余計にギャップがあるのかもしれないですね。仕事によっては人と違ったものを提案しなくてはいけないとか、自分のアイデンティティーとは?という意識もあるし。でも、EGAKUに関してはまったく力みがないんです。評価されることもないし、それがいいのかもしれないですね。
素のままの自分が出やすいから、全く私を知らない人が絵を通して感じてくれたことがとても嬉しかったりする。自分が思ってもみなかった他人の言葉を、それも面白いから受け入れられるというか、否定的な感情が全く出ないし、素直に受け止められるんです。

人の価値観ってさまざまだからいいんですよね

デザインの仕事をしていると、「描くものが独特で、他の人とは違ってすごいんじゃないか」と思われそう。そう思ってクリエイターがEGAKUの参加をためらう気持ちも分かる気もします。でも一回参加して描くと、それが本当に要らないものというか無駄な考えだと分かるんです。
デザインの仕事をしているというプライドは本当に必要がない。いわゆるクリエイティブとはまったく違う職種の人の絵の面白さや独創性に出会う、そういう驚きの方が必要だし、時には大切だと思うんです。
ショックを受けちゃうとか、嫌だ、みたいな人もいるのかもしれないけれど、それ以上に得られる感情や感覚が大きいですね。

くにさんの絵を観る鑑賞ワークもそう。時には「そんなふうに見えるの!?」みたいなことを心の中で思うこともあるけれど、人の価値観ってさまざまだからいいんですよね。鑑賞ワークは、小学校とか幼稚園の授業でも実践すればいいのにと思います。

以前は、本当に様々な人の考え方があることは頭ではわかっていても、気持ちが拒絶していた部分もありました。でもそういうことを許容・共有する感情や感覚をゆるーくゆるーく、私の思考に馴染ませてくれたのがトツキトオカだったと思います。

制約の中で表現するから面白い。

私、実はパステルっていう画材が苦手だったんです。パステルよりも色鉛筆で描きたくなっちゃうんですよね。
なじませ方を変えたり、スプレーを何度もかけたり、いろいろ試してましたね。他の人の絵を見て、どうやって描いたのか探ってみたり、理想の色を出すために色をどんどん混ぜていって、やっぱり違う、みたいなことばかり。
とにかく自分の中にある描きたいものを、描きたいのに描けない。パステルが思うように使えないし、紙もこんなに凹凸がついて色がなじまないじゃないかと毎回思ってました。

でもフラストレーションがたまるのは、描きたいことと描いたことにギャップがあるから。自分のイメージをそのまま形にするのはアーティストでも難しい作業だし、初心者だとギャップがあるのが当然ですよね。
そこでどうにでもなれみたいに諦める方法もある中で、私は最後まで自分のイメージに落とし込むことを諦めなかった。それは、クリエイティブな仕事をしている人が持たないといけない、やり遂げる、諦めない感覚じゃないかなと思っています。

クリエイティブな仕事をしている人にとっては、EGAKUでの様々な決まりごとは制約になって、多分表現の妨げになると最初は感じるんじゃないかな。でも、普段やらないような状況に自分を置くことで普段出ないものが出てくることを楽しんでもらいたいです。
いつもとは違う、普段は味わえない環境や人々の中でいかに何ができるかっていうのを探すことが面白いと思います。

EGAKUでは職業は全く関係ないし、私みたいなクリエイティブな職業の人も含めてみんな絵を描きにくればいいのにね。そもそも絵というのは評価されるものではないんだから、どんどん自分自身を表現すれば、心にも身体にも良いのにってすごく思います。