EGAKU受講者
インタビュー

小安 美和 さん
株式会社 Will Lab  代表取締役

思い込みの殻を一枚一枚はがすような作業だった

トツキトオカを終えるのに4年もかかりました。でもそれは「忙しいから」とか、「ずぼらだから」とかではなく、結構必死で終えたという感じなのです。10か月というトツキトオカ本来のスパンを大きく超えているけれど、「自分に素直に、自分のバイオリズムのままに向き合って描かせてもらったら、結果4年かかりました」というのが、私のトツキトオカだったのだと思います。

しかもトツキトオカの10回だけではなくて、その間に全3回の女性リーダー向けプログラムにも参加したので、結果13回ですね。ただ、トツキトオカと女性リーダー向けプログラムは私の中では位置付けが違っています。トツキトオカは、「これからの人生で私がありたい姿」に対する答えを出したいと思って挑んだもの、それに対して女性リーダー向けプログラムでは、とにかく短期間で答えを出すために、ブーストとして活用させていただきました。

40年間、外の期待に応えようとカッコつけて頑張って生きてきたためトツキトオカはその殻を一枚一枚はがしていくような作業でした。でもそれには痛みも伴いました。見たくない、見せたくない自分もいます。それも含めて、自分のありたい姿に戻り、もう一回生き直す気持ちで取り組んだら、描くのが辛い時もあり、行けない時もありました。

途中からは迷いが出て、自分の絵を見るのさえ嫌な時もありました。一見可愛らしい絵でも、ドロドロしたものを描いていたんですよね。自分の嫌いな部分がすごく出てきているように感じていました。
描いた絵は全部家に飾っていますが、よく見ては思い出します。この時こうだったとか。一番弱っている時期に描いた絵はあまり見たくないものもあったりして。今では全部好きなんですけどね。

期待や責任感からではない、自分が本当にしたいことは何か。

トツキトオカを始めた頃は新会社立ち上げの時期と重なり、毎日必死で心の余裕もなく、約1年描いていない期間がありました。素の自分がわからなくなって、自分の原点を探しに生まれた奈良の三輪山に行ったりもしました。自分はどうありたいのかと、パワーを取り戻そうとした時期です。そこからまた1年あいています。このころは不妊治療もあって体力的にも辛くてすっかり間が空いてしまいました。

その頃描いた「もっと深く、もっと濃く」という作品。何か本当にモヤモヤしていた時期でした。本当の自分がどこにいるかわからない。自分の根っこにあるものをもっと知らなきゃいけない。
もっともっと深く掘らなければいけないとその時強く感じたのを覚えています。

自分は本当にどうありたいのかに向き合わなければならない、だんだんとそこに課題があると思うようになっていました。

本当にしたいことに飛び込む覚悟のために描く。

仕事面ではしばらく自分の思い通りに成果を出せない状況がありました。目標は必達で「やらない、やれない理由がわからない」というパワーマネジメントをしていた私が、「周囲に優しくなろう、育み育まれよう」と思うようになっていきました。

その頃に「慈 –Affection-」のテーマで描いたのが、「育み育まれる」という作品です。
この頃は、もう、自分にも周囲にも鞭打って目標を達成するということをやめて、受け入れ、育てるだけでなく、自分自身も周囲に育てられる人になったらいいなあと思うようになりました。

ただ実際の仕事面では、大きな責任を果たさなければいけない立場だったのですが、残念ながら体力的に治療生活との両立が難しいとも感じていました。自分の能力、体力の限界を認め、責任をもって白旗を上げなければいけない。そして、そういう覚悟をするためにここに来ていたようにも思います。

全てを捨てて、本当に根っこの根っこで昔からしたいと思っていたことに飛び込む、その決断をするために描いていました。

絵を描いて思い出した「自由な私」

私の描く絵は、他の参加者からはよくパワーを感じると言われていたのですが、この頃から優しくなってきたように思います。余白というか、そういうものを持っていないといけないなと思っていたのがこの頃でした。

この作品「“そのまま”でそこにあり続けること」は、今まで期待に応えて生きてきた自分に対して、ありのままの私で生きていくことを覚悟した作品でした。

ありのままの私というのは、行きたいと思ったら行って、やりたいと思ったらやるっていうことなんです。それまでは「これをやったらいけない」とか、「言ったらいけない」と抑えていたことを、そのままの姿でいるというのですから、結構チャレンジですよね。
そこからは作品の雰囲気もスコンと抜けたように明るく、素のままの優しい自分に戻って描くことができるようになりました。迷いがなくなったんですね。

絵を描いてみて思い出したのですが、もともと私は人と同じことをするのが嫌いな子でした。常に何かはみ出していた子どもで、決していい子ではなかったし、親の言う通りとか世の中の言う通りの優等生でもなかったんです。幼稚園くらいまで遡ってみると、すごく自由な子だったんですよね。
もともとはそういう「自由な私」なんですけど、大人になって自由でいることは覚悟がいるし、勇気もチャレンジもいりますよね。それができる環境であるかということを意識しなければいけないし、自分の言うことややることがすべての正義でもない。
そこから私の中の正しいことはあるけれど、それは私の心の中にあって、その上でいろんな人と一緒にいい世界を作れたらいいなと思えるようになりました。描きながら抜けられたのかもしれません。

新しい人生を「描く」こと

自分に向き合うことは難しいし、時に、つらい作業です。私は子どものいない人生を考えていなかったから、いざそうなりそうだと悟ったときに、なんかぽっかり空いちゃったんですよね。私はこの先どんな人生をつくるのか。会社にい続けるというイメージも湧かず、今後、世の中に何で貢献してけるかもわからない。今では考えられないけれど、頑張ってその空白を描くことができたのもトツキトオカでした。

EGAKUを続けることで感じるのは、自らに向き合い、描く、表現しようとすることそのものが大事なのだと思います。日々の仕事を一生懸命やっていれば、いつか見えてくるという人もいると思うんですけど、私の場合はそれはちょっと違うと思っています。
日々取り組んでいることの中から見えることもありますが、それは今の延長線上にしかない。これからは会社が一生自分の面倒を見てくれない時代です。少し無理をしてでも自分は「こうありたい」というのを描いてみないと先に進めないのではないかと思うんです。

私にとっては2015年がターニングポイントでそこで「新しい人生を描いてみる」ということにチャレンジしました。EGAKUを通して自分の原点に立ち戻って、一度きりの人生で自分のやりたいことをやると決めて、新しい人生を描くことができたと思っています。

自分の原点から、怖がらずに表現することが大切だと思います。人によってはポエムかもしれないし、音楽かもしれない、いろんな表現でいいと思うのだけれど、私は絵に描くことが好きなのだとわかりました。

そして、ありたい姿を描きながら、ビジネスとセットで実行することを心がけています。「絵に描いた餅」で終わらせないで、絵で描いたことをビジネスで実行し、振り返り、また描くというサイクルをこれからも続けたいと思っています。

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