EGAKU受講者
インタビュー

前田 恵 さん
外資系IT会社 トレーナー

初めて描いたら、頭が酸欠みたいになりました。

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友人の主催する会でEGAKUのことを聞いたのがきっかけで参加しました。でもその時の気持ちとしては、何がしたいとかっていうよりも、なんとなく面白そうだなって思った程度でした。
初めての回ですごく覚えているのは、描いた後にあんまりにもお腹がすいて、頭が酸欠みたいになって頭が痛くなったこと。その時に、一緒に参加した友人に、「それは普段使わない頭を使ったからだよ」って言われて、そうだよな、こういうことって普段やらないなと。
だから絵を描くのって結構体力勝負なんだなっていう印象がありました。
2回目は、普段使わないような赤とかピンクとかを使って明るいものを描きたいっていう気持ちがありました。その時のテーマや気持ちを描こうというよりも、私っていうのをわざと作為的に描いて、あ、私そうなんだっていうのを反射させたいと思ったことを覚えています。

体験したことのない時間が進む予感がありました。

その頃ちょうど仕事が変わってポジションも変わったし、すごくいろんなことが起こりそうな、今まで体験したことのない感じで時間が進んで行くんだろうなっていう予感があったんですよね。
その時に考えていることを文章で残しておくのも一つの方法なんでしょうけど、文章だときれいにまとめてしまうような気がしていて、絵の場合はその時の自分の頭の中身がそのまま出てくる感覚があったので、それをちょっと魚拓的に取っておいたら後で見返して面白いかなと思って始めました。後から見返した時にどんな時間だったかっていうのを違う形でフラッシュバックできる様にしたいなと思って。
実際に、すべての回をすごく覚えてますよ。この時にこんな人がいたとか、この人がこんな絵を描いてたとか。

テーマはきっかけ。その奥にあるものを考えて描きたい。

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その月のテーマはあくまでもひとつのきっかけとして、その時の描きたいことを描いている感じはありますよね。テーマはもともとのキーワードとしてあるんだけど、考えているうちに思考が進んでしまって最終的にあんまりテーマと結びついてないようなことも結構ありましたね。
あとはちょっと、そのままを描きたくないっていうか、一回咀嚼して自分なりのものを描きたいっていうのはあると思います。毎回与えられるテーマをそのまま描くのではなくて、それ以外にはないだろうかとか、その奥にあるものって何だろうって考えて描きたいというのはずっと思ってましたね。
それって多分、良くも悪くもそういう教育を受けているのがあると思うんです。特に大学院の時にやっていた社会学って、人のやってることを一先ず聞くんですけど、そこで何か否定できるところはないかって考えるんですね。そこからしか自分のオリジナリティっていうのは生まれてこないっていう発想だから、誰かのセオリーをそのまま受け取ってもその人の存在意義はないっていうことですよね。

焦燥感や飢餓感も描くことですっきりしました。

4ヶ月目の作品は特に強烈ですよね。何か少し違うところに行った感じはしますね。
ある意味この時期は、忙しい忙しいとは言っていたけど、なにか強い危機感というか、何かしたいというような飢餓状態に陥ってたような感じでした。でも描いた時に自覚しましたね、強烈なものを描きたいんだなって。コメントでもそれに近いことを言われたのを覚えてますし、自分自身でも思いました。
更にその焦燥感とか飢餓感というのを描くことで自分の中で納得できた気がしたし、吐き出してすっきりしたのはありましたね。
私は良くも悪くも人の感情のようなものにシンクしてしまうところがあって、あんまり仕事でそれがあると疲れちゃうんじゃないかなって思っています。そのせいで、仕事と自分の感性みたいな部分ってずっと分かれすぎていて、どうくっつけたらいいかわからなかったところはありますね。
今まではその感性みたいなところはパーソナルな部分としていて、仕事ではあんまり人の感情にシンクしないようにしようと自制していたところがあったんですけど、この作品を描いたあたりから、それは否定しなくてもいいのかなって思うようになりました。

予想できないから、すごく正直な自分が出てきます。

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毎回すごく印象深かったので、そのとき何を考えて描いたのかを鮮明に覚えていますね。
始まる前は自分がどんなことを考えるのかわからなかったので、それを何か形に残しておきたいというのは、まさにその通りの流れになったなと思います。
やっぱり文章だと整合性が取れ過ぎてしまうというか、書いていて意外なものが出ることってあんまりないんですよね。だけど絵は本当にどんな色が出てくるのか、自分がどういうことを思うのか予想ができないですし、だからこそすごく正直な自分が出て来ている気がします。
この10ヶ月の中で自分の中の仕事やいろいろな出来事の区切りがつくとは思っていなかったけれど、ある意味自分のサイクルが、どこかトツキトオカとシンクロしていたような気がします。今はトツキトオカでも仕事でも1サイクル回って、ここからがセカンドステージだなというような感覚はあります。
ただ、これをまた完全に魚拓として見るのにはもう少し時間が必要なのかなと思いますね。
あと面白かったのは、自分自身がすごく両極端なものを持っているということを、何度か言われたことですよね。それって自分の中では意識したことがなくて、トツキトオカがなかったら指摘されることもなかったと思います。
1つの絵に両極端の両方が出ているというよりは、作品によってどちらかが出ている。今日はこっちだよねって言われると自分の中でも妙に納得感があるんですよね。

組織の根底にある色と属する個人の親和性が面白い。

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他の参加者の作品や描き方を見て、テーマに対する取り組み方って、こんなにも人によって違うんだなっていうのは思いました。
毎回いろんな業種の方がいらっしゃって、そうすると当たり前だけどやっぱりすごく違うんだなと思いますよね。ご本人としては思わないかもしれませんが、第三者から見ると同じ会社の人たちだなっていうことが感じられるのも面白かった。大きな会社であればあるほどその会社の根底にある色って強烈だと思いますし、その色と自分の色に親和性があるからそこにいるのだと思うんですよね。そうすると結果的に何人か取り出しても共通のものってあるように思います。ある種自分の属性として組織があるというのは羨ましいとも思いました。

アートの見方が変わりました。

トツキトオカをやってアートの見方が変わりました。美術館に行った時に、割と今まではその絵を好きか嫌いか、持って帰るとしたらどれがいいかっていう見方だったんですけど、何を考えてこの絵を描いたのかなっていうのを思うようになりましたね。
素敵だなと思う絵があった時に、もう少し時間を取っていろんなふうに見てみるとか、どういうアプローチで、どんなテーマを表現してるんだろうと想像するとか。それはすごく面白いですよね。

一人の思考が変わることの集合がいろんなものを動かしていく

それから、ぼんやりとしか考えたことがないのですが、自分でもすごく不思議に思っていることがあるんです。私が高校生の時留学していたときから大学生時代にもずっと感覚としてあったことがあって。アメリカ人的な感覚なのですが、一人の思考が変わることの集合がいろんなものを動かしていくっていう考え方なんです。それと私の大学院の研究テーマって、1つの言葉の意味っていうものが30~40年の間のどんな出来事やメディアの関わり方を通して変わって行ったかっていうことだったんですが、ホワイトシップのコミュニティに関わるとそれを思い出すんです。
ホワイトシップのプログラムに参加することでどんな風に、どうコミュニケーションが作られていくのか、社会が変わっていくのかすごく面白いなって思っています。
今、私自身も仕事で人を教えるとか人をドライブしていくっていうことをやり始めるようになって、自分の仕事と今話した感覚との接点に何か見出せるものがあるのかもしれないと思いはじめています。今のところはまだパーソナルなところで終わっている気がしますが。interview

Kuniさんにはセブンスセンスがあるような気がします。
Kuniさんは、シックスセンスの次のセブンスセンスがあるみたいな気がしますね。鑑賞のコメントで真芯に当たってる時の鋭さはすごいなって思います。
私が人にコメントしてる時は、その時の瞬間的な印象を書く事が多いんですけど、Kuniさんの場合は、そのもう一歩も二歩も先を書いている気がしますね。Kuniさんを見ていると絵のかなり深いところまで行くことができるもんなんだっていうのを思いますね。
そしてKuniさん自身の作品については、すごくオープンな絵だなといつも思っています。アーティストの人柄なんだと思うんですけど、だから鑑賞できるんでしょうね。自分で完結してしまった絵ではなくて、入ってきていいよって。それがKuniさんの個性というか、らしさなんだと感じますね。

この次、何がきっかけで描くのかが楽しみです。

トツキトオカの10ヶ月はこれで終わりましたが、また続けてもいいと思うし、忘れた頃にやっても面白いかもしれないですね。トツキトオカをやろうと思ってから自分にとって良い時間が流れてるので、そういう意味では魚拓ができて良かったと思っています。
トツキトオカではそれこそ定期健診的に来てましたけど、この次に何がきっかけで自分が来ようと思うのかがとても楽しみです。

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