EGAKU受講者
インタビュー

渡部 るり子 さん
外資系製薬会社経営戦略 マネージャー

絵を描くことで、一歩引いて自分を見ることができます

interview

自分でも驚いているのですが、絵を描き続けることで、仕事において自分が「こんなふうに考えて、こんな方向に進んでいる」と、一歩引いて自分自身を見られるようになってきたんです。
それもあって、EGAKUプログラムを受講していることを周りに言うようになりました。実は今、会社にも絵を置いているんですけど、絵を通して自分の考えることをチームに伝えたりもしています。

枝葉末節に葛藤せず、本質に向かうようになりました。

仕事では日々の雑事に追われていることもあって、さまざまなタイプの方と仕事をすると、少し面倒くさく思ったり、イラっとしたり、今思うとそういう枝葉末節な部分で結構葛藤していたんだと思います。
でも、描き続けていく中で、そんな枝葉末節はどうでも良くなるというか、自分の中のフィルターを通して混沌と見えてしまっていたものが整理できて、「それはそれとして」とうまく振り分けることができるようになってきました。
描いている時間は、小さな15センチ位の空間の中に意識を集中させながら、「自分が何をしているのか」「どうしたいのか」をある意味で結晶にしていく作業な訳です。そうすると、自分がしっかりしてくるからなのか、大概のことは受容できるようになった気がします。
悪い意味ではなくて、「そういうことを思う人もいるよね」と共感しながら、でも本質のところで、「やらなければいけないことはこうだ」と思えるようになりました。

多様性を認められることが、人間的な成熟だと改めて思います。

私が留学していたフランスのビジネススクールは、とても多様性を大事にする学校で、さまざまな国籍の人がいました。その経験を通して、同じ価値観で仕事ができる、できないは国籍とはまったく関係ないと心から思うようになりました。それまでは国内でしか仕事をしていなかったので実感がなかったのですが、その経験を通して、多様性を認め合う人の方が柔軟に働けるんだなと思いましたし、自分もそのような人を目指したいと思ってきました。
そしてつい最近のことですが、新しいメンバーが組織に加わったことによって、周辺にいろんな軋轢があるときでも「そういうこともある」と思える自分がいました。ある意味それは、人として成熟してきたことであり、とても大切なことだということを上司と確認することができたんです。自分ではまったく意識していなかったのですが、そういうとらえ方ができるようになってきたのだなあと改めて嬉しく思いました。
私の所属する組織は変革の最中なのですが、その中で自分の役割も変化し、成長するチャンスをもらっています。その時期とトツキトオカを受講するタイミングとが絶妙に合ったこともとても良かったのだと思っています。

自己紹介をするときにはEGAKU作品を使っています。

描き続けることで、素の自分を出せるようになったと思います。新しい組織になって、自己紹介する時にもEGAKUで描いた絵を使ったんですよ。
私は、さまざまなバックグラウンドを持っている人が認め合える、ダイバーシティのある環境の中が大切だと思っていますし、その中からいろんなアイディアが生まれるのだと思っています。
この「Shining Eyes」という作品を見せながらだと、そのような想いを自然に話すことができるんです。
もし絵がなかったら聞く側も構えてしまったりするでしょうし、自分自身も自分の根幹になる部分や何を大事に思っていることって、なかなか言葉にできないんですよね。人によっては、四字熟語とか、漢字2文字で15分しゃべれる人もいるんでしょうけれど、私自身は自分の想いを言葉にしづらいと思っていたところがあったので、絵があることで本当にしゃべりやすくなりました。周りの方は自己紹介に絵を出すことに、はじめは凄くびっくりしていましたが、それでも行動してしまうと、自分のいろいろな部分を感じてもらえて面白いし、それも含めて自分なのかなと思えるようになっていました。

自分でもびっくりするような絵も出てきます。

interview

でも一方で、素を出すって本当に難しいと思うこともあります。コーチング研修で、70歳近いエグセクティブコーチが、『本当の素の自分であること』について、ロールプレイングで見せてくれたことがありました。単なるロールプレイではなく、ご自身の葛藤も含め、身をもって全てをさらけ出して教えてくれたのです。その年齢だからこその経験も含めて、真実の言葉に触れる機会、本当のありのままの姿に触れさせていただいた、巧まざる良い機会でした。
今まさに私自身も、トツキトオカを通して、一番コアというか、本当にありのままの自分を表せた感覚、自分をさらけ出せたという感覚を持つことができるようになってきています。
EGAKUプログラムの設計の素晴らしさのひとつなのだと思いますが、毎回のテーマについていろんな解釈ができるので、自分の中のたくさんある階層のどれかにアクセスして描けている気がしています。毎回全力投球で描いていますが、時に自分でもびっくりするような世界観の絵が出てきます。それはきっと深い階層にアクセスして描けているからなのかもしれないですね。最初はアクセスもその表現もぼんやりしていたのが、10回描くうちに、すごくたくましくなった感じがしています。

絵というチャネルが、自分を多面的に見る目になりました。

実は、EGAKUプログラムを始める少し前に、会社の中での自分を振り返る時間を持つために日記をつけ始めました。それまでは、常に何かをアウトプットすることが必要という強迫観念、パフォーマンスをあげている感を出したいという気持ちが強くて、そのためにプラスになる研修みたいなものはたくさんあって受講していたのですが、自ら考えることに向きあうという機会がなかったんです。
もちろん、大きな経験をしたときには「振り返る、考える」とは思うんですけど、それを日々きちんとやることってなかなかできないんですよね。日記を書く習慣を持つことで、自分の思っていたことと行動がちゃんとつながっているよね、と確認できると思ったんです。そしてそういう習慣ができつつある時に、それに加えて、EGAKUを始めて、絵というチャネルが自分を見る多面的な目のひとつになったんだと思いますね。それが日々のパワーになったと思いますし、こういう出逢いを頂けたことがすごく幸せなことだと思っています。

「深く降りる感覚」を時々は持ちたいと思います。

interview

これはたまたま偶然ですけれど、初回のテーマが「源 –Origin-」から始まって、トツキトオカの最後のテーマも「源 –Origin-」だったのです。家に帰って、最初と最後の絵を見比べてみると、すごく面白かったです。テーマが同じだからこそ、こんなふうに自分の思考は色々振れていけるんだなあと感じることができました。初めは単純な表層的なものだったのが、どんどん深い思考に降りていったというのは、2枚を並べると見えてくるんですよね。今後もまた他のテーマで2回目に描いた時には何がでてくるのか、何が見えるのかとても興味があります。
振り返ってばかりの人にはなりたくないので、あんまり突き詰めても、という気持ちもあるんですけど、私自身常にアウトプットし続けるという感覚が強いので、意識的にこういう深く降りる感覚は持ちたいですね。どんな方にとってもこれは大事なんじゃないかなと思いますね。

視覚的だけでなく、より深くとらえる「鑑賞」に変わりました。

トツキトオカを体験して「鑑賞」も変わりました。今回パリで美術館に行って絵を見た時に、EGAKUプログラムでのことを思い出して、鑑賞する自分のモードが変わったんですよ。例えば、前は「面白いな」とか、「力強い線だな」とかそういう見方だったんです。それが、「描かれているのはどんな人なんだろう」とか、「作者はなぜこういう服を着ると思ったんだろう」とか、そういうところまで絵を鑑賞して想像を膨らませることができるようになりました。視覚的なものだけではなく、それをより深くとらえる感覚が出てきたんです。もしかするとアートだけではなく、日常の中でも観察を楽しむようになっているかもしれないですね。
トツキトオカ受講中に、Kuniさんの作品の墨画シリーズをコレクションさせていただくことになったのですが、これはもう「出逢ってしまった」としか言いようがないです。「あの、ちょっと!」みたいな感じで、そのまま動けなくなったんです。深く鑑賞することができるようになって、アートと出逢えるようになったのかもしれません。

作品だけではなく、それを作った人と触れる楽しさを感じます。

interview

「豊かさ」というものは人それぞれだと思っているのですが、私自身やっぱりアートと関わることはすごい好きですし、豊かなことだと思っています。特にKuniさんというアーティストを知ってからは、作品だけを見る楽しさとはまたと違う。それを作った人と触れる楽しさを感じます。
先日のパリでようやく観ることができたピカソの作品も、私自身の鑑賞の仕方が変わったことで、以前とはまったく違う面白さを感じることができたんだろうなと思いました。新しいアートとのコネクトを感じています。
10回描く中で、後半ますます自分を表現する勢いが出てきたので、このままトツキトオカを続けてみたいなと思っています。そしてまた少し落ち着いて、自分自身を定点観測することを楽しみたいと思います。

 

渡部るり子さんの MY GALLERY >>